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最後の騎兵と騎兵銃
エアボーン松浦です
本日は最後の騎兵のお話です
西 竹一(にし たけいち)陸軍軍人、華族(男爵)
最終階級は陸軍大佐。愛称・通称はバロン西
1932年 ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト。
後に戦車兵に転科し戦車第26連隊の連隊長、硫黄島の戦いで戦死した。
硫黄島からの手紙で栗林忠道陸軍中将ともに硫黄島の戦いを
描いた作品でも有名です
身長も当時としては高身長である175cm、
軍人ながら丸坊主にせず服は派手なものを着用していた。
趣味は乗馬のみならず射撃やカメラ、バイク(ハーレーダビッドソン)、自動車(クライスラーの高級輸入車)、
当時のアメリカの映画スター、ダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻との交友あった。
オリンピックの馬術の金メダリストながら騎兵の時代の終わりと共に
馬から戦車へ乗り換えることを余儀なくされていきます
当時の軍部の中には、アメリカに駐在武官だっだ、栗林忠道中将や
アメリカかぶれと西を快く思っていなかった
人達がおり、階級は上がってますが、
メダリストながら硫黄島の転進になります
(アメリカにいたからこそ、アメリカの怖さを良くわかっており戦略的な作戦が取れたと思いますが)
硫黄島戦における苦戦は米軍にとっては衝撃的で
日本軍守備兵力20,933名のうち96%の20,129名が戦死或いは戦闘中の行方不明。
一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害を受けた。
太平洋戦争の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害が
日本軍を上回った稀な戦いであり、
硫黄島上陸後わずか3日間にて
ノルマンディー上陸作戦における戦死傷者数を超える
激戦であった
西も硫黄島守備隊戦車第26連隊の指揮をとり
九七式中戦車の砲塔を取り外し、トーチカや砲台代わりに使用するなどし、
アメリカ海兵隊のM4中戦車と撃滅戦を展開した。
戦場に遺棄されたアメリカ軍の兵器を積極的に鹵獲し、整備・修理した後それらを使用して勇戦した
戦闘末期の撤退戦の中でもはぐれた兵士を洞窟内に入れることを
拒絶する他指揮官が多かった中、西は「一緒に戦おう」と受け入れたという
また捕虜のアメリカ兵を尋問ののち乏しい医薬品でできるだけの手当てをしたという
アメリカ軍は「馬術のバロン西、出てきなさい。世界は君を失うにはあまりにも惜しい」と連日呼びかけたが、西は黙ってこれに応じなかったというエピソードが伝えられている(後から作った話との説も)
西の最後には諸説ある
火炎放射器で片目をやられながらも、数人の部下らと共に最期の突撃を行い戦死したとも
日本軍に鹵獲され使用されたM4シャーマンの話がある
日本軍が捕獲したM4シャーマンから至近距離で砲撃を受け戦車が複数台撃破され
中から日本兵の死体が発見されたが、その中の1人が西ではないかとも言われている
西は愛馬ウラヌス(オリンピック金メダル時の馬)のタテガミを最後まで持っていた
さてここで本日のご紹介
最後の騎兵のバロン西もきっと使用した 三八式騎兵銃
K.T.W. 三八式騎兵銃
販売価格¥82555
ご購入はこちら
好評発売中です!!
店舗地図はこちら
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西 竹一(にし たけいち)陸軍軍人、華族(男爵)
最終階級は陸軍大佐。愛称・通称はバロン西
1932年 ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト。
後に戦車兵に転科し戦車第26連隊の連隊長、硫黄島の戦いで戦死した。
硫黄島からの手紙で栗林忠道陸軍中将ともに硫黄島の戦いを
描いた作品でも有名です
身長も当時としては高身長である175cm、
軍人ながら丸坊主にせず服は派手なものを着用していた。
趣味は乗馬のみならず射撃やカメラ、バイク(ハーレーダビッドソン)、自動車(クライスラーの高級輸入車)、
当時のアメリカの映画スター、ダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻との交友あった。
オリンピックの馬術の金メダリストながら騎兵の時代の終わりと共に
馬から戦車へ乗り換えることを余儀なくされていきます
当時の軍部の中には、アメリカに駐在武官だっだ、栗林忠道中将や
アメリカかぶれと西を快く思っていなかった
人達がおり、階級は上がってますが、
メダリストながら硫黄島の転進になります
(アメリカにいたからこそ、アメリカの怖さを良くわかっており戦略的な作戦が取れたと思いますが)
硫黄島戦における苦戦は米軍にとっては衝撃的で
日本軍守備兵力20,933名のうち96%の20,129名が戦死或いは戦闘中の行方不明。
一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害を受けた。
太平洋戦争の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害が
日本軍を上回った稀な戦いであり、
硫黄島上陸後わずか3日間にて
ノルマンディー上陸作戦における戦死傷者数を超える
激戦であった
西も硫黄島守備隊戦車第26連隊の指揮をとり
九七式中戦車の砲塔を取り外し、トーチカや砲台代わりに使用するなどし、
アメリカ海兵隊のM4中戦車と撃滅戦を展開した。
戦場に遺棄されたアメリカ軍の兵器を積極的に鹵獲し、整備・修理した後それらを使用して勇戦した
戦闘末期の撤退戦の中でもはぐれた兵士を洞窟内に入れることを
拒絶する他指揮官が多かった中、西は「一緒に戦おう」と受け入れたという
また捕虜のアメリカ兵を尋問ののち乏しい医薬品でできるだけの手当てをしたという
アメリカ軍は「馬術のバロン西、出てきなさい。世界は君を失うにはあまりにも惜しい」と連日呼びかけたが、西は黙ってこれに応じなかったというエピソードが伝えられている(後から作った話との説も)
西の最後には諸説ある
火炎放射器で片目をやられながらも、数人の部下らと共に最期の突撃を行い戦死したとも
日本軍に鹵獲され使用されたM4シャーマンの話がある
日本軍が捕獲したM4シャーマンから至近距離で砲撃を受け戦車が複数台撃破され
中から日本兵の死体が発見されたが、その中の1人が西ではないかとも言われている
西は愛馬ウラヌス(オリンピック金メダル時の馬)のタテガミを最後まで持っていた
さてここで本日のご紹介
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更新日時:2015年05月28日03:08
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